100年後の車社会について

近年、車の電気化が進んでいます。

私なんかは、もうワクワクする車は出ないだろうと諦めております。

さて、電気化だけでなく、運転サポート技術の飛躍も凄いです。自動運転も可能でしょう。これらを完全なものにするにはインフラの整備が必要です。

が…

逆にいえばインフラが整備されると、完全に自動運転が可能になるんじゃないでしょうか?

ここでいう自動運転とは、現在でいうレベル5の状態です。つまり、搭乗者は緊急時であれ何も操作しなくていい状態になります。いつ頃実現するかわかりませんが、未来の車社会について妄想してみました。

全ての道路が自動運転対応になったら

運転の必要がなくなる

日本全国津々浦々。とにかく、自動車が進入できる全ての道路です。

最初は恐る恐るだった機械任せの運転も、徐々に慣れてくるでしょう。

ここまで整備すれば、人は移動の為の運転をする必要がなくなります。恐らく、タクシーの運転手の需要は激減するのではないでしょうか。

乗車した人はお酒を飲んでもいいでしょうし、寝ていてもいいでしょう。勿論、運転する必要がないだけで、運転したい人はできるでしょう。勿論、ハンドルなどが備わっていればの話です。

そもそも、自動運転車両に乗るために運転免許も必要ないかもしれません。

自家用車はなくならない

ですが、自家用車というものはなくならないと思います。

タクシーやバスが自動化されたとはいえ、好きな時に好きな場所に行きたいですもんね。しかも、運転しなくていいと来たら喜ぶ人も多いのでははいでしょうか。

それに、自家用車がなくなったら自動車メーカーも大変ですから知恵を絞るでしょう。

昔ほどではないにしても、車にはステータスシンボルとしての役目もあります。

運転する機会は減っていく

交通事故のリスクについてはどうでしょうか。

0ではないでしょうが、各メーカーがしのぎを削って事故リスクは減っていくでしょう。

たまに事故は起こるはずです。

特に問題になるのが、人が運転していた車と自動運転の車が事故をしたケースでしょう。

一概にはいえませんが、時代が進むにつれ意識が変わっていくと思います。

「自動運転の車が事故をするはずがない」と。

その結果、運転する人は現在の高齢者ドライバーのような扱いを受ける可能性があります。

「危ないし迷惑かけるから、車を運転するのやめたら?」って。

倉庫やトラックが規格化されたら

トラックが倉庫内に入り、指定の場所に到着。

指定されたレーンにはトラック一台分の道があり、左右にはベルトコンベアが回っている。トラックが停止すると、荷台が翼を広げたように開く。左右から荷物が丸見えの状態になる。荷物は全て規格通りの大きさとなっており、整然と積まれている。

ベルトコンベアが回り、トラックの荷物がどんどんと流れていく。空になれば、反対のベルトコンベアから荷物が流れてくる。再び満載になったトラックは次の目的地へ向かう。

なんてことも可能になってきませんか?

こうなると、拠点間のみの配送ドライバーが激減します。

ポストと荷物の大きさが規格化されたら

例えば、ポストは道路から〇mの位置に立てる必要があり、高さや幅が決められていたらどうでしょう。

宅配する車には、ポストに荷物を送りだす装置があれば宅配が完了します。

勿論、ポストが設置できない家庭もあるでしょうが、このシステムに対応した宅配ボックスのようなものが出てくるのではないでしょうか。

いずれにしても、宅配も可能になってくると思います。

運転は完全な趣味になる

ここまで来ると、職業として車を運転する人も少なくなっているのではないでしょうか。

何より、免許を持っている人が珍しい時代が来るかもしれません。

だって、運転する必要がないんですから。

つまり、運転したい人だけが免許を持つ時代。

しかも、公道で走らせると事故をする危険があるから、クローズドなコースでのみ走らせることが出来る。なんてことになるかもしれません。

今でいえば、乗馬みたいなもんでしょうか。

好きな人が趣味でやってますが、公道で馬を駆っている人は見ませんよね。交通の邪魔になるから。

もしかすると、車もこうなる可能性があるんじゃないかなと思います。

でも…

駆け抜ける喜びを知る世代からすれば、つまんないですよね。